頭に響く機械の音に、闇の中に沈んでいたジェレミアの意識がゆっくりと浮上する。
耳障りな金属音に混じって、人の会話らしきものが聞こえてきたが、その内容までははっきりと聞き取ることができなかった。
例え聞き取ることができたとしても、今のジェレミアにそれを理解するのは困難だった。
頭の中に霧がかかったかのように朦朧としていて、思考がうまく纏まらない。
自分の名前すら、時々思い出せなくなることがあるほどだ。
やがて、断片的に聞こえてきた会話が消えて、人の気配が遠ざかっていくのを感じたジェレミアは、ゆっくりと瞼を上げる。
ガラス越しの視界に映る薄暗い部屋は、無機質な金属と機械に埋め尽くされていて、そこがどこなのかジェレミアにはわからない。
朦朧と混濁した意識の中で激しい不快を感じたジェレミアは、そこから逃れようともがいてみるが、手足の感覚がまったく感じられないのだから、どうすることもできなかった。
諦めて、瞼を閉じたジェレミアの意識は、再び深い闇に吸い込まれていく。

「・・・COED−R」

沈みかけた意識の中で、聞こえてきた声は誰のものなのか。
考えることすら億劫で、ジェレミアはそのまま意識を闇に委ねようとするが、声はそれを許さなかった。

「そこから出たいかい?」

さっきまでの断片的に聞こえてきた会話とは違い、今度ははっきりとジェレミアの頭に響く。
頭の中にかかっていた霧が少しずつ晴れていくような感じがしたジェレミアは、突然の意外な言葉に驚いて、細く瞼を開いた。
「誰だ」とでも言いたそうに見つめるジェレミアに、目の前の男は困ったように微笑んでいる。

「私のことも忘れてしまったのだね・・・」

少し寂しそうにそう言った声は、どこかで聞いたような気がするのだが、ジェレミアには思い出すことができない。

「私の頼みを聞いてくれたら、そこから出してあげるよ?・・・キミはそこから出たいのだろう?」

言葉の全てを理解することはできなかったが、ここから自分を解放してくれると言う意思だけは、今のジェレミアにも理解はできた。
だから、それを了承するように、ジェレミアは小さく頷いた。










Secret dream











お祭好きなミレィの発案した、ド派手なクリスマスイベントを無事に終えたルルーシュは、少し疲れた表情を浮かべながらも、自室に戻り、最愛の妹と二人きりで、静かなイブの夜を過ごしていた。
それは毎年のことで、兄として、たった一人の妹に、寂しい思いをさせたくないと言う気持ちは当然だったが、ルルーシュ自身が強くそれを望んでいた。
他愛もない話をしながら食事をして、穏やかに過ごすことのできるこの時間を、ルルーシュは大切にしている。

「そう言えば、明日から咲世子さんがいらっしゃらないとお聞きしましたが・・・?」
「年の瀬だからな、忙しいんだろう?お前のことは俺が面倒を見るから心配しなくてもいい」
「でもそれでは・・・お兄様にご迷惑がかかるのでは・・・?」

何かと忙しい兄を気遣って、ナナリーは不安そうな顔をルルーシュに向けた。

「大丈夫。学校はもう冬休みだし・・・」

言いかけて、ふと、ルルーシュの頭の中に、黒の騎士団のことが思い浮かんだ。
が、それを振り切るように、ルルーシュは穏やかな笑みを浮かべる。
そうしてもう一度「大丈夫」と、優しく妹に声をかけた。
年末の慌しさは万国共通で、それは黒の騎士団も例外なく、クリスマスやら新年を迎える為の準備やらで、いろいろと忙しいらしい。
だから、今は、事実上の一時活動停止状態になっている。
なにか緊急のことでもない限り、年が明けるまでの間は、「ゼロ」としてのルルーシュの予定は入っていない。
ルルーシュにとっては好都合だった。

「では、明日はずっとお兄様と一緒にいられるのですね?」

ナナリーはとても嬉しそうにそう言って、ニコニコと笑っている。

「さぁ、そろそろ休まないと・・・また体調を崩してしまうよ」
「はい、お兄様」

今日はいつも以上に聞き分けのいいナナリーを先に休ませて、ルルーシュは机の上の端末に向かうと、目ぼしいニュースをチェックしだした。
しかし、年末の世界情勢に大きな変化はなく、ルルーシュはすぐに端末を閉じて、疲れた体を休める為にベッドに横になった。
瞼を閉じると、途端に睡魔が襲ってくる。
部屋の明かりを消すことも、着替えることすら億劫で、ルルーシュはそのまま、心地よいまどろみの中へと意識を落としかけたその時、耳元で名前を呼ばれたような気がして、重たい瞼を僅かに開けた。が、室内は静まり返っていて、人の気配は感じられない。
消し忘れたはずの、部屋の明かりがいつの間にか消えている。
不審に思いはしたが、睡魔に誘われているルルーシュは考えることが面倒くさくて、再び瞼を閉じかけた。

「ルルーシュ・・・」

暗い闇の中から、今度ははっきりと自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、ゾクゾクと足元から冷気が這い上がってくるのを感じたルルーシュは、不快な表情を浮かべながら、冷たい足元に視線を向けた。
しかし、やはり部屋には誰もいない。
疲れている所為で幻聴でも聞こえたのだろうと決めつけたルルーシュは、頭からすっぽりと毛布を被って、本気で眠る体勢に入った。
その後も何度か呼ばれたような気がしたが、それをきっちりと無視して、ベッドの中のルルーシュはピクリとも動かない。
しばらくすると、聞こえていた幻聴が耳元から消えて、室内は静か過ぎるほどの静寂に包まれた。
「これでようやく眠れる」と、安堵したルルーシュだったが、その胸に重石でも乗せられたような圧迫感に襲われて、体の自由がきかなくなった。
俗に言う「金縛り」と言うものなのだろうが、現実主義者のルルーシュは、それを認めようとはしない。
これも疲れの所為だと考えて、体の硬直が解けるのをじっと待っているルルーシュの全身に、冷たい汗が滲み出る。

「ルルーシュ。いい加減に、私の存在に気づいておくれ・・・」

不意に押さえつけられていた体を開放されて、ルルーシュは反射的に起き上がった。
そして、暗い室内を360度ぐるりと見回す。
すると、さっきまで誰もいなかったはずの部屋の隅に、人の姿を見止めたルルーシュは、思いっきり不審そうに顔をゆがめて、こめかみ辺りに指を当てた。
あるはずのないもの・・・いや、いるはずのない人間がそこにいたからだ。

「ク・・・クロヴィス!?」

しかも、紅い服を着ていると言うことは、サンタクロースのつもりなのだろうか。
ルルーシュはサンタも信じなければ、幽霊や亡霊の類も信じない。

「まいったな・・・疲れすぎて、幻覚まで見えるようになってしまったのか・・・?」

自分の手で殺した、腹違いの兄の姿を見つけても、ルルーシュは意外なほど冷静だった。

「幻覚ではないよ・・・本当に私なのだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寝る」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

無視された幽霊らしき幻覚は慌てている。

「・・・なんの冗談だ?もし本当にクロヴィスなら、俺に恨み言でも言いにきたのか?」
「違うよルルーシュ・・・。これが恨み言を言いに来たように見えるかい?」
「幽霊のコスプレは始めて見たが・・・?」
「今日はクリスマスイブだ。プレゼントを持ってくるには、やはりこの恰好でないと・・・」
「・・・プレゼント?幽霊に施しを受けるほど、落ちぶれてはいないが?」
「・・・ま、まぁ、そう言わずに・・・」

声にも視線にも、鋭い冷たさが感じられるルルーシュは、幽霊よりも寒い。
明らかに、クロヴィスを圧倒している。
それにも怯まずに、顔を引き攣らせながら、懸命に笑顔を浮かべようとしている幽霊は滑稽だった。
だから「これは夢だ」と、ルルーシュは解釈している。

「プレゼントなどいらないから、さっさと帰れ!」
「ルルーシュ・・・どうしてお前は私にそんなに冷たいのだ・・・?そんなに私が嫌いなのかい?」
「好きとか、嫌いとか・・・そーゆー問題ではなくて、俺は眠いんだよ!なんでもいいから、とっとと消えろ!!」

ベッドに横になって、背中を向けたルルーシュを、クロヴィスはすぅーっと上から見下ろしている。
硬く目を閉じたルルーシュは、これ以上相手にしてくれそうになかった。
諦めたのか、クロヴィスの気配が纏った冷気と共に、闇の中に解けるように消えていく。
それと同時に、ルルーシュの意識も深い眠りの淵へと落ちていった。



それからどれくらい経ったのだろうか。
次にルルーシュが目を開けたときには、部屋の中は明るくなっていた。
カーテンの隙間からは、細い光が差し込んでいる。
目を覚ましたルルーシュは、一応部屋の中を見渡してから、異常がないことを確認すると、ほっと溜息を吐いた。
「あれはやはり夢だったのか・・・」と、しばらく呆然としていたルルーシュだったが、まだ眠気の残る体をベッドから起こすと、朝食の支度をする為に着替えを始めた。

―――たっぷりと熟睡したはずなのに、体が重いのは気のせいだろうか・・・?

「それはきっとあの変な夢の所為だ」と決めつけて、ルルーシュはキッチンへと向かう。
その途中に、急に妹のことが気になったルルーシュは、様子を見る為にナナリーの寝室へと足を運んだ。
朝も早いこの時間なら、ナナリーはまだ眠っているはずだ。
しかし、部屋の前まで来たルルーシュは、訝しげに顔を歪めた。
静まり返っているはずの扉の向こうからは、なにやら愉しげな声が聞こえている。
それは間違いなくナナリーの声だった。
起きていても不思議ではないが、声が聞こえるということは、誰かと話をしていると言うことだ。
こんな早朝から、ここを尋ねてくる者がいないことは、ルルーシュが一番良く知っている。
だから、ノックをすることも忘れて、ルルーシュは勢いよく、目の前の扉を開けた。

「あ・・・お兄様・・・」

突然扉を開けたルルーシュに驚いて、それでもナナリーはニコニコと笑っている。
そして、その傍には、

「・・・ジェ・・・レ、ミア・・・?」

いるはずのない男が立っていた。

「まぁお兄様。ジェレミア様をご存知だったのですか?」
「・・・あ、いや・・・まぁ・・・」

知っているも何も、ジェレミアは紅蓮との戦闘で死んだはずの男だ。
しかもブリタニアの軍人である。
それがなぜここにいるのか。ルルーシュにはさっぱり訳がわからない。

「今日から咲世子さんの代わりに、お手伝いをしてくださるそうなのですが・・・?」
「そ、・・・そうなのか?」
「てっきりお兄様は知っているものだとばかり思っていたのですが・・・」
「そ・・・それは・・・」

硬直しているルルーシュを気配で悟ったナナリーは、首をかしげている。
その隣では、ナナリーと一緒になって、ジェレミアまでもが首を傾げていた。
その間の抜けた仕草に、ルルーシュは痛む頭を抱える。

「・・・お兄様?どうなさったのですか?」
「あ・・・いや、別に・・・。ところでナナリー。兄さんはこの人と大事な話があるのだが・・・ちょっといいかな?」
「はい」

ルルーシュはそう言って、ジェレミアの服をの裾を掴むと、無理矢理部屋の外へと引っ張り出した。
ジェレミアは首を傾げたまま、きょとんとした表情を浮かべている。

「真冬の朝から化けて出てくるとは、随分と図々しい幽霊もいたもんだな・・・」
「・・・幽霊?」
「お前も昨夜のクロヴィスとグルなのか?」
「・・・クロヴィス・・・って誰です?」

ここまでくると、現実主義者のルルーシュでも、不可思議な存在を認めざる得ない。
しかし、ジェレミアは、ルルーシュの言葉に首を傾げるばかりで、まったく何もわかっていない様子だった。

「私はある人に頼まれてここに来たのですが・・・?」
「ある人?」

それは昨夜の「クロヴィスではないのか」と尋ねたが、ジェレミアはその名前に覚えがないらしい。
そもそも、今目の前にいる男は、ルルーシュの知っているジェレミアとは、大分印象が違って見えた。
いつも難しい顔をして、威丈高な態度で人を見下していた男と同一人物とは思えないくらいに、ジェレミアは無邪気な顔をしている。
それでも、れが演技でないとは断定できない。
なにかの企みがあってのことなのだろうかと、疑いたくなるのも当然のことだった。

「悪いが、お前に用はない。さっさとここから出て行ってくれ」
「ま、待ってください!私はここ以外に行くところがないのです・・・」
「帰ればいいだろう?」
「・・・帰る?どこへ?」
「政庁へなり本国へなり、帰るところならいくらでもあるだろう?」
「・・・せいちょう?ほんごく?・・・ってなんですか?」
「元にいた場所に帰れと言っているんだ!」

なかなか進まない会話に苛立って、ルルーシュは声を荒げた。
それに驚いて、ビクリと身を竦ませたジェレミアは、何かに怯えるようにがくがくと震えている。

「い・・・嫌です!帰りたくありません!なんでもしますから・・・どうか、ここに置いてください」
「いらないと言っているんだ!」

冷たい言葉に、ジェレミアは絶望的な顔をして、ルルーシュの顔をじっと見つめている。
怯えた瞳に涙が浮かべて、縋るように懇願し続けるジェレミアの様子は、ルルーシュの目から見ても、それが演技とはとても思えなかった。